
常岡俊昭さん
精神科医。昭和大学 精神医学講座 講師。昭和大学付属烏山病院のアディクション外来に て診療。専門は臨床精神医学、社会精神医学、依存症など。
常岡俊昭さん
精神科医。昭和大学 精神医学講座 講師。昭和大学付属烏山病院のアディクション外来に て診療。専門は臨床精神医学、社会精神医学、依存症など。
インタビュアー
塚本堅一(元NHKアナウンサー)
回復における医療の役割
-
- 塚本
-
はじめに、ギャンブル依存症とはそもそもどういう病気なのか教えてください。
-
- 常岡
-
もともとは行動の障害とずっと言われてきました。依存症自体がどういうものかというと、アルコール依存症でも薬物依存症でもそうですが、適度に使えなくなる、適度に遊べなくなるというふうにとらえてもらえればいいかなと思います。
お酒を飲んだり飲まなかったり適度に楽しめる人と、アルコール依存の人ってイメージとしての違いはわかると思いますが、結局何が本質的に違うの?というと、「少しだけ飲む」とか「今日は飲んで、明日は飲まない」とか「これくらいでやめておこう」というコントロールができなくなって優先順位が変わってしまう。酒が一番になって、「友達よりも恋人よりも仕事よりも、とりあえずお酒にしとこう。」というのが依存症かなと思います。
-
- 塚本
-
例えばアルコールだったら、飲む量であるとか、ギャンブルだったら突っ込んでしまう金額が違うといった話ではなく、要は自分でコントロールができなくなってしまうということですか?
-
- 常岡
-
そうですね、自分が1時間でやめようと思っていたのに、気が付いたら閉店までいてしまったとか、お金に関してもこのお金でやめようと思っていたのに、どんどん使ってしまったり、場合によってはATMに走って下ろせるお金を全部入れてしまったり。人によってATMで下せるお金は10万円の人もいれば、100万円の人もいると思いますが、そもそもの予定よりも多く使ってしまってコントロールできないのがギャンブル依存症といっていいのかなと思います。
-
- 塚本
-
アルコールとか薬物といった他の依存症と、ギャンブル依存症と違うところはどういうところでしょうか?
-
- 常岡
-
いろいろありますが、一つは理解されにくさがあると思いますね。アルコールとか薬物は、物質が関与しているので、物質を欲しがる気持ち、物質が入ってしまった時にドーパミンが出て脳内に何か影響している・・・ということはわかってもらえると思います。それをきちんと疾患と捉えるか、自己責任と捉えるか、そこはまだ啓蒙が進んでいないと思いますが。
けれどもパチンコは、普通にパチンコやっている人が何万人もいるわけで、パチンコやったって脳内に何かが起こるということは、本人もですが周りもピンときてもらえないですよね。外来に連れて来られるご家族も困ってはいるんですけど、「この人何か変なのです。」というのがみんなさんの一致した意見なのです。脳内の話をしても何かあんまりピンとこなくて、「いいから先生、この人に絶対やるな!って言ってください!」みたいにいわれるんですよ。
もちろんやらないようにと思っていますが、ちょっと病気だということも理解して欲しいですね。ご家族、ご本人また周囲の人達も「自分の意思の問題だ。」と思っていて、病気のことをそもそも理解しようとしなかったということが一番大きく違います。
-
- 塚本
-
それこそ、自己責任という壁は大きいですよね。自己責任では解決しないよ!という壁をちょっと越えたあたりで医療につながると思いますが、その壁を越える判断は本人や家族は、どうなのでしょうか?
-
- 常岡
-
実は、自己責任の壁を越える前にけっこう連れて来られる方もいらっしゃっているんです。でもやっぱり「自己責任だから怒鳴ってやってくれ!」みたいな感じなんですね。とはいえ、来てくれると依存症の説明ができるので良いのですが、病気だということは広まってきているのに、病気だということと自己責任ではないということはセットで広がっていないイメージがあります。「病気になるのは自己責任だ!」というのはおかしいのですが、家族もけっこうそう思っていらっしゃるんですよね。
-
- 塚本
-
結局叱ってほしいという反応になること自体がやっぱり自己責任論ですよね?
-
- 常岡
-
それでは意味がないということから始まるのですが、そこの始まりをすんなり受け入れてくれるご家族もいれば、「あの先生はウダウダ言って甘いことばかり言ってる!」とお叱りを受けるご家族もあります(笑)。
-
- 塚本
-
依存症の当事者である病気の本人ですら、どこか病気じゃなくて意志の問題なんだと思っているように感じる時もありますが・・・。
-
- 常岡
-
言葉としては病気だっていうのは認めているんですよ。「病気だけど、この病気を治すのは意志だけだ!」みたいな感じですかね。
「自分の気持ちでこの病気を治すんだ。」という人は結構います。自己分析していると思うんですけど、なんかそこは本人の中ではストンと落ちてるんですよね。
あとは、「一回やったらコントロールが効かなくなる。」っていうところは同意してくれても、「その一回をやらなきゃいいんでしょ?」と、そこは俺の力で何とかなる!という発想になる人は多いような気がしますね。
-
- 塚本
-
依存症になる人とならない人、そこの違いは何なのでしょうか?
-
- 常岡
-
いろんなことを言われていますが、一番私がピンとくるのはそのギャンブルがパチンコでも何でもいいのですがそれが唯一なのかどうかということなのです。
-
- 塚本
-
唯一というのは?
-
- 常岡
-
例えば、つらい気持ちに対する対処方法だったり、暇つぶしだったり、それ以外の楽しみでも趣味でもいいのですが、それら手段の唯一の方法として、パチンコがあるとか、競馬があるという方々は、やっぱりはまりやすいなという印象はありますね。
これはお酒や薬物もそうなのですが、「たくさんの対処方法がある中の一個としてパチンコやっていました。」という人に依存症の人はそんなに沢山いないという気がします。パチンコに代え得るものがないということですね。競馬も全部そうですけど、これ以上のものが全然ない、つまり「2番3番は無くて1番だけなのです。」という方々はどうしてもはまりやすい。
▲インタビュアー塚本さん-
- 塚本
-
依存症の傾向がある人で、医療が必要な人というのは、どのような人なのでしょうか?
-
- 常岡
-
ずっと医療が必要かっていうとまた別の話として、一回は医療にかかったほうがいいのかなと思っています。どうしてかというと、二つあって、一つはギャンブルの方だと、純粋なるギャンブルだけなのか?ということです。例えば、躁うつ病、ADHD、不安障害などと重なっていないか?不安障害の方が不安だからギャンブルに行って、ギャンブルだけ止めさせようとしても、なかなか難しいですよね。
そしたらやっぱり不安障害にも介入しながらギャンブルにも介入するっていうようなことが必要です。なので、本当にギャンブル依存症だけの問題なのか?というのを診る意味で一回、医療には来てもらった方がいいかなと思います。
もう一つはギャンブル依存症の場合、自殺率が非常に高いっていうのが大きな問題です。もちろん自殺を防ぐ方法って沢山ありますし、だから僕は自助グループなどの仲間が沢山できるっていうのはすごく大きいことだと思うんですけど、自殺っていう意味では最後のライン、最後の防衛システムが医療なのかなとは思っています。本当に死にそうになっている時に、取り敢えず入院して身が安全な場所、死なない場所でゆっくり考えましょうということが必要です。その時に、もうそれだけ追い詰められた状態から新しく病院探して「あの先生、私は実はこういう人間で・・・」ってやっていくって、すごくストレス高いだろうなって思うんですよね。
-
- 塚本
-
私が知り合った依存症の方には、依存症のほかに発達障害や鬱を併発している方もいて、依存症と合わせて抱えていると大変だなっていう印象があります。
-
- 常岡
-
ただ考え方で、ふたつ抱えているということは、ふたつ医療資源が使えるともいえて、ふたつのアプローチができるんですよね。そうすると、しっかり支援者が付きます。依存症に対する支援者だったり、自助グループの仲間だったり。当院でやった研究で、アルコール依存だけの人とアルコール依存プラス統合失調症とか躁うつ病がくっついている人で予後を調べると、少なくとも継続率っていう意味だと、他の病気がくっついている人の方が良かったんですよ。
ほんとは難しいっていわれていて、それとこれは全然違う問題だよっていわれているんですけど、そういう人達の方が、1年後の予後は少なくても良くて、ちょっと意外だったんです。 まあもちろん、ご本人すごく大変だとは思うんですけど、援助の仕方の種類が増えるっていう意味においては、悪いことだけではないのかなと思っています。
-
- 塚本
-
関わる人が増えていきますからね。
-
- 常岡
-
そうです。関わる人が増えるのは絶対良いと思うんですよね。その中で本人が、この人だったら良いという人が見つかる可能性が増えるので。
-
- 塚本
-
選択肢が増えると、患者にとってプラスになる面というのは、他にどんなところがあるのでしょうか?
-
- 常岡
-
まずは全部自分で抱え込まなくてよくなります。自分の性格だとか、意志が弱いとか、そういうことじゃなくて病気ということで見えやすくなるので、性格や意志の問題と病気を分けやすくなるとは思いますよね。 やはり「何だかわからないけれど、自分はただギャンブルが止まらないんだ。」っていうより、自分はギャンブル依存症だといわれた方が、おそらく他の人にも話しやすいでしょう。
-
- 塚本
-
自助グループと医療との関わり方は先生どうお考えですか?
-
- 常岡
-
一番違うのは立場ですよね。僕たち最終的にはわからないと思うんですよ。鬱で死のうと思ったこと無いですし、幻聴が聞こえたことも無いですし、全財産借金してギャンブルにつぎ込んだことも無い。やはり医療にはわからないということを理解するところだと思っています。
薬物の人の渇望とか想像しますけど、多分、僕が想像するようなものでは無いと思うんです。実際には。僕たちが想像してしゃべる事で、ありがとうといってくれる優しい患者さんはいるけど、多分本来彼らが求めているのはそこじゃなくって、自助グループに通うことで感じる「あぁその感覚わかるよね。」だと思います。社会復帰をやっていく場合に医療の役割は少ない。逆に急性期とか本当に危ない時にはやはり、医療の方が役割として強いのかな。強制力も設けますし、医療が何とか命を救えて、ある程度本人もやる気になって、そうしたら自助グループ中心でやってもらって、またダメになったり、辛くなっちゃったりしたら病院の方に帰って来て頂いて、とりあえず病院で休みますかといった感じですね。
医療は、シェルターや、ゴールキーパーみたいな役割。本当にやばい時って、ゴールキーパーがボール持つけど、基本的には持ったら、そのあとゴールキーパーのやる事ってポーンと放り出すだけじゃないですか。後は頑張ってくれみたいな、ただ危なくなったらいつでも医療で支えますよ、死ぬことはさせませんよと。それを目指すのが医療なのかなと思います。
-
- 塚本
-
ゴールキーパーというのはいい表現ですね。そういう意味で私は両輪という感じがしたのですけど、
-
- 常岡
-
医療と自助グループは両輪なんですけど、どっちか中心になる時期があると思うんですよね。常に五分五分の両輪ではないと思っています。
-
- 塚本
-
常岡先生の勤務する病院で行なっている依存症の人たちのプログラムはどのようなものですか?
-
- 常岡
-
僕はプログラムというよりみんなが集まることにすごく意味があると思っていて、当院では14時から16時の2時間でギャンブルプログラムをやっています。
前半はあえて言いっぱなし聞きっぱなしの自助グループに近いものを。後半ではワークブックを使って、「どんな時にギャンブルをやりたくなるか?」とか、「どういう時は危ないときか?」なんてみんなで意見をいいあったりしています。2019年1月からも、隔週でやっていくつもりなので、もしご興味ある方がいたらぜひ来ていただけると。人数が増えた方がこれ絶対楽しいので、自助グループがどうしても嫌っていう人も、誰か人と繋がれているといいのかなっという気がしています。
是非、病院をそんなに嫌わずにちょっと一回フラッと来てもらって、別に毎週絶対こなきゃいけないじゃないですし、なにかの時のSOSの手段の一個として、精神科病院も入れてもらえたらと思いますね。精神科病院も「仲間に入れて!」っていう感じですかね。
-
- 塚本
-
確かに、セーフティネットが何重にもあった方がいいわけですものね。ありがとうございました。