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依存症者本人の体験談

vol.1 「ギャンブルが止められなくて」 Kさん(アノニマスネーム)

私は、子供の時から野球が好きで熱心に毎日、やっていました。

でも、高校に入ってすぐに腸の難病にかかり、激しい運動ができなくなりました。その せいで自分が凄い惨めでダメな奴だと感じるようになりました。

そんな気持ちを無くさせてくれたのは東京での暮しでした。

大学に入って東京に出て、とにかく毎日が楽しかったです。コンパ、サークル、イベ ントや自分の好きな物を買う生活 etc・・・そしてすぐにお金の使い方が派手になり、 クレジットカードを 2 枚作って、服や飲食代の支払いをしていました。大学に入って半 年ぐらいで 100 万の借金を作っていました。その頃、月に 20 万円の仕送りを貰ってい ましたがそれでは追いつかず財布を無くしたとか色々な嘘をついてお金を振り込んで もらいました。結果どうにもならなくなり両親に泣きついて返済してもらいました。本 当にその時は、親に対しては申し訳なく思い二度とこんな事はしないと強く思いました。

でも時間が経つにつれて毎日が楽しくて、自分の問題を振り返ることはなく大学を卒 業して就職すればよいと安易にしか思えなくなりました。そして何か月かおきにクレジ ットカードで借金をするという生活を繰り返していたし、勉強はせず大学を留年してし まいました。

その事でなんかモヤモヤを感じるようになった時に出会ったのがギャンブルでした。 その当時、池袋を歩いているとポーカー屋の看板があり、なんの店かと入ってみたのが のめり込んだきっかけでした。その前にも大学の友達と麻雀をやったり、パチンコ屋に 行った事はありましたが毎日やりたいとは思いませんでした。でも、ポーカーのダブル アップという点数を倍々にしていくというゲーム性と最後まで成功させていった時に 画面が真っ赤に変わるのが快感になっていました。

段々、ギャンブルの事をいつも考えるようになっていきました。また、すぐあいた時 間があればギャンブルをやっている生活に変わって行きました。そこから、新宿や渋谷 の繁華街で朝・夜関係なくギャンブルをやっていました。麻雀、ミニバカラ、ポーカー 屋に入り浸っていました。サラ金で借金を作っては親に泣きつき、お金を借り返済し、 返済したらすぐにサラ金で借金をつくる生活になっていました。

それとあわせて、大学では留年を繰り返し、卒業したのは 26 歳の時でした。 それでもその頃の自分は、ギャンブルはすぐやめられるし、やめたら勉強して資格をと ったら、全然問題ないでしょうと思っていました。

そうは思っていても、正月など親戚が集まる場所では居心地が悪く感じて一分でも早く逃げたくなっていました。両親に対しても、もういくら借金しているかわからなかったし、なんか全ての言葉が自分に対しての文句にしか思えなくなっていて、同じ空間にいるのが耐え切れなくなっていました。親にこれ以上迷惑はかけらないと、借金の肩代わりをしてもらった後、本気で思いました。ギャンブルをやめようと。今度こそやめようと。でも、ギャンブルをやっていました。

大学を卒業して職にもつかずギャンブルをやっていたころは、大学の友人に取り残さ れたような気持ちが出てきて、自分が情けなかったです。でも。その気持ちを紛らわし てくれるのもギャンブルでした。

28 歳になった時、当時付き合っていた女性が自分の子供を妊娠しました。 これは頑張らなくてはと思い、仕事を始めました。でも子供ができるという実感がな く、ギャンブルは止まりませんでした。家にも帰らず、ギャンブルを続けていました。 そして、子供が生まれました。みんなが祝福してくれて本当にうれしかったです。もう 一度しっかりした人間になろうと強く思いました。この子の為に頑張ろうと決心しました。

毎日余計なお金を持たずお弁当をもって何か月か生活していました。でも長くは続か なかったです。結婚祝いや出産祝いを家にいれず、ギャンブルに使っていました。そし て、またサラ金で借金をしてしまいました。

嫁との口喧嘩も絶えなくなりました。親との関係もますます悪くなりました。仲良く したいのになんでこうなるんだと、いつもモヤモヤした気持ちになっていました。子供 と一緒に寝るたびに「なんでギャンブルをやってしまうんだ。やめよう。やめよう。」 と思い、また、ギャンブルをやって帰る自分が、嫌で嫌でたまらなくなっていました。 そして、大きな出来事が起こりました。離婚です。子供とも会わない約束をしました。 今でも最後に会った時の、嫁の疲れ果てた顔を覚えています。初めて、僕はここまで 追い込んでいたんだと気づきました。両親も変わりました。

ギャンブル依存症の家族会であるギャマノンに入り、一切自分には金銭的な援助をし なくなりました。

それでも私は現実を受け入れられなかったです。子供に会えない事、両親がギャマノ ンに通うようになったこと。なんか、イライラが止まらなくなっていました。

そして、解消するためにさらに激しくギャンブルをしていました。

今まで、友達や同僚にお金を借りる事は恥だと思ってなかなしませんでしたが、両親 から借りる事ができなくなり、みっともないと思いながらも借りるようになっていまし た。ギャンブルも一気に取り返せると信じ、競馬にのめりこみました。給料を家賃も払 わず、全部競馬に使うことも少なくなかったです。

そんな生活も長くは続かず、どうにもならなくなりました。

前々から両親に言われていた依存症の治療施設へ行きました。

こで自分を見つめる時間がギャンブルをやめたいという事と、自分がギャンブル依 存症で自分の意志ではやめられないという事を認められました。

そして自分はどういう人間なのかという事がわかってきました。

自分は弱い人間で情けなかったり、自分が些細な事でも気にしてしまう人なんだと。 そんな自分と付き合っていこうと考えられるようになりました。でも中々、自分一人で はすぐ悪い方に考えてしまいます。

そんな今の自分にとって、同じギャンブル依存症の仲間の中にいるのがなによりのパ ワーになっています。社会のなかで生活していると、自分がギャンブル依存症である感 覚も薄れていくし、自分の弱さを見せられる場所が無くなっていきます。でも、GA の 中で、依存症の仲間の中にいれば自分がただのギャンブラーで、正直にいきれる時間が あります。これが今の自分にとって唯一のギャンブルをやらないですむ生き方です。 まだ、私にとってギャンブルをやらなかったり、浪費しないで生きる事はストレスに 感じる感覚だったり、満たされない感覚が残っていますが、過去みたいに大切な人を傷 つける生き方はしたくないと考えています。

それに自分が嫌いで、情けなくて、と思いながら生きている自分より、今の弱さを受 け入れている自分が好きだし、楽です。

だから、これからもギャンブル依存症だからギャンブルをやらないというシンプルな 選択を続けていきたいです。